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三条家装束抄


唐車
太上天皇、皇后、東宮等、用ひらるヽなり、又摂政関白乗用す、古は太上天皇、摂関の外、他人乗用なきか、元永二年二月廿二日、中宮、御方違の行啓に、糸毛車いまだ出来ず、唐車お用らるべき哉の由御問の時、中御門右大臣、〈○源雅実〉申て雲、唐車お用らるは、院並に執柄用ひらる所也、后宮においては、終に例おみずと雲々、右府の旧記に見へたり、
上皇乗御
大治五年十二月二十六日、此たび院、三条西の御所修理後、初て渡御、唐車に乗御、
建久九年二月四日、上皇、〈○後鳥羽〉八幡御幸に唐車に乗御、将軍家
明徳三年八月廿八日、相国寺供養に、鹿苑院准后、〈○足利義満〉時に左大臣准后にて、唐庇の車に乗用せらる、
応永二年正月七日、同将軍、太政大臣拝賀の時、唐車お用ひらる、牛車の宣旨お蒙て、今日始て牛車に駕、
摂家
天承二年十月十九日、知足院の摂政、〈○藤原忠実〉賀茂詣の時、唐車お用、
永享四年七月廿五日、後福照院摂政、〈○藤原持基〉任大臣の節会の日、唐庇の車お用ゆ、