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輿車図考

予尚古の志ありて、汲古の学おなし、ことに本朝の故実にうとしごの頃平家物語の画図お企つ、車の制においては、古画もまた、まち〳〵にして弁じがたし、故に志おたてゝ、去年の夏の半比より、車のことかいたる文などみたれども、もとより分明ならざることのみおほければ、東都の隠士稲村行教おまねきて、車の故実などとふ、この人汲古の学にくはしく、よく考索お尽してうまざる人なれば、さま〴〵古書お抄出し、考証おそなへて、より〳〵もち来る、よてこのくるまの画図おかうがへはじめしなり、画は渡辺広輝に、予みづからさし教へてかゝしむ、考証は行教の説おおほくあぐるのみ、もとより縉紳家へもたづね、または橋本経亮などへもとひものしたるが、こゝにて分明ならざることは、かしこもまたおなじ、隻行教の丁寧お尽して、考索の精おまされりとす、稿終りぬれば、校合お行教にこひ、また屋代弘賢にもしめす、故にその説おも少しくこゝに加ふ、予はたゞ論説のちからもなく、取捨の識もなければ、心お尽して編集して、他日の遺忘にそなへんとす、もとより此後古書古画など、よりどころとなるべきもの見出したらば、おひ〳〵にかきくはへ、全備すべきものなり、世の人新著述のものおみては、其益ある事おばいはで、いさゝかのあやまりなんどお、たゞにあげ侍る輩少なからず、もとよりこれは論にもたらず、たゞこの車輿の事は、中比さへも、すでにわかりがたき事侍るめるに、今の世にて、かくたゞさんは、いとかたき事なれば、猶このうへ発明の説、証拠の昼図などあるものは、かならず来りて、しめすべし、髪お手にし堂お下りても、其辱お謝すべきなり、文化元年七月、楽翁みづからしるす、