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閑田次筆

江戸の人去あへぬことによりて、出羽へ雪深きころに、赴たりし道の記、即雪の古道と号し、〈○中略〉天明八年の霜月、雪お凌ぎてからうじてかしこにいたり、同九年の二月までのことどもおかけり、〈○中略〉滑津のうまやにいたる、こゝよりならきまでは、雪ことに深うして、馬もかよはず、乗物もかなひ侍らずといへば、そりおもとめ出てのる、はたごおばときわけて、かち人に負せつ、風にむかひては雪吹に堪たまはんやうなしとて、そりにうしろざまにのりつゝ、はたごの馬に負せつる雨具、頭に引かづき引れゆく、〈○中略〉すこし高き所に引のぼるほどは、斜にくつがへるべうおぼゆるお、綱引直しつゝこゆ、そりには蒲団お敷て、我身おも綱にて結ひつけたれば、はしるやうにあれど、さすがにたふれず、〈○中略〉峠田の駅にいたる、〈○中略〉下部くるしうおはさんとて、こゝにてかごそりといふものおもとめてのせつ、これは橇ながら、乗物のうちにありてひかるるまゝ、こしかたにくらぶればいとめやすし、