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輿は、こしと雲ふ、其形は輪お除ける車の如し、前後に轅あり、或は手お用い、或は肩お用いて之お舁くものなり、史に見えたるは、日本書紀神武天皇紀に、皇輿の字あるお以て始と為す、之に次ぎて、垂仁天皇紀に、竹野媛が輿より堕ちし事あり、而して大宝以後は、天皇及び三宮、斎王の御料に限れりしが、後漸く人臣も用いることヽなれり、足利幕府の時、其臣下に乗輿お聴すの制あり、次で豊臣徳川二氏執政の時に至りても、乗用するに其制あり、輿に鳳輦、葱花輦、腰輿、網代輿、塗輿白輿等の数種あり、鳳輦は又鸞輿とも雲ふ、屋頂に金鳳お飾れるお謂ふ、葱花輦は略して花輦とも称す、屋頂の飾に、尖円お用いる、其形葱花に似たり、因て名づく、而して鳳輦、葱花輦は、天皇の乗御の料にして、皇族と雖も用いることお得ず、腰輿、手輿は並にたごしと訓ず、手お以て舁くが故なり、而して其轅の舁く者の腰に当るが故に腰輿の名あり、網代輿の網代は、籧篨即ち竹席の事にて、あむしろと雲ふべきお、省呼してあじろと雲ひ、之お輿の四面の腰に施したるなり、塗輿は髹漆お施し、白輿は木地の板お以て造れるより雲ふ、