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倭訓栞
前編九/古
こし 輿お訓ずるは、運び越の義、日本紀の歌に、たごしにこさばと見えしも、手して石お運び送る意也、朝野群載、斎王の処に、輦輿一基、腰輿一基と見ゆ、又四方輿、手輿、張輿、腰輿あり、霊異記に輿もよめり、瑶輿は、親王家晴の時めす、白輿は、親王、摂家、清華、大臣以上に用う、網代輿は常に用いらる、又長柄輿あり、又板輿あり、通鑒に見ゆ、釣ごしあり、又半切とも称す、もと宮家のめしつかはるゝ婦女の乗物也、今公卿夫人とても是にめす也、足利の時、三家は、吉良、石橋、澀河也、此は長柄之塗輿免許也、当代の塗輿は、彼例なりしとぞ、塗輿は、四方輿の代り也、当時は車の代りとす、武士並僧の輿には廂なし、ござ包みお荷輿とす、地下も用う、