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梅松論

後醍醐院お以、先帝と申奉り、承久の後鳥羽院旧規に任せて、隠岐国へ遷幸なし奉るべき由治定する間、〈○中略〉御幸は六波羅より、六条河原お西に、大宮お下りにぞなし奉る、御先には、洛外にて召さるべき四方輿お舁せらる、都のうちは、御車の下簾お懸られて、武士ども関東の令に任て前後おかこみ奉る、