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甲子夜話
九十六
前九十四巻、〈○中略〉弘前侯の轅に乗て登城せしことお雲へる結句に、四品の人もこれに乗るか、隠倫の身は、かヽる雲上の事は、今は露ほども弁へずと記せしが、此頃聞けば思もよらぬ大事となりけるとぞ、
申渡之覚〈四月(文政十年)廿五日〉
津軽越中守名代
岩城伊予守
今度御昇進御位階之節、〈○徳川家斉任太政大臣、徳川家慶叙従一位、〉登城之砌、轅相用候由、然る処先達て父越中守より内意申聞候節、轅用候儀難相成旨相達置候処、其心得も無之、此度相用候儀、不束之儀と思召候、依之逼塞被仰付之、
右於下野守宅、老中列坐、同人申渡之、大目付織田信濃守、御目付曾根内匠相越、
又聞く、或人当日途中にて見たるは、彼侯退朝の時、両国橋より居屋鋪の方へは行かずして、川端お上り、予〈○松浦清〉が末族和州の邸前お上へ、埋堀の方に越て、割下水の方より帰邸せしとぞ、又或人は、御倉前お通行て大川橋お渡りしとも雲、登城の時と帰路と道お違へたりとも雲ふ、いかにも乗轅の体お人に見せそとて、わざと路お迂廻して通行ありしならん、然るにこの譴責お蒙れば、栄耀お人に示すの心は、翻て恥辱お人前に曝すことヽ成りぬ、去りとは笑止なることヾもなり、頃ろ又、一紙の書付お示す者あり、雲く、
四月廿八日
〈大目付〉石谷備後守 〈御目付〉羽太左京
此度御大礼之節、津軽越中守、轅相用候処、出役之御目付、御小人目付不申立候段、平日申付方不行届不調法之事に候、依之御目見差扣被仰付之、
右於新部屋前溜、下野守申渡、本多遠江守侍坐、
〈御徒目付〉速見左大夫 小櫛七十郎 野宮市大夫 〈御小人目付〉持田登平 中島儀蔵
坪山忠八
此度御大礼之節、津軽越中守、轅相用候お見請候はゞ相糺、大目付御目付〈江〉可申立儀、無其儀不束之事に候、依之押込申付之、
〈御徒目付〉金子栄五郎 小田又七郎 〈御小人目付〉鈴木甚右衛門 伊奈源太郎 金井新作 加藤此八
津軽越中守、轅相用候節、出役は不致候得共、出役之者より不申立候共、平日供連之儀取扱候上は、相互に可心付儀、無其儀不調法之事に候、依之御目見差扣被申付、
右於小田切土佐守宅、金森甚四郎立合、土佐守申渡之、
彼の御大礼のとき、丹羽侯も、〈奥州二本松〉四品にて轅に乗て出たり、これは侯の先代の中、轅お新造して、三四年も釜所の塵汚する場に置て、殊に煤びさせ、官家大礼あるに臨て乗出たり、果して役向の人見咎めしに、先祖小松宰相〈○長重〉乗用の者おそのまヽ用て、かく古びたりと答て事済しと、夫より引続て例用し、当丹羽氏も此度轅なりしとぞ、又藤堂侯は、〈勢州阿能津〉侍従の事ゆえ、家臣等、此度は轅乗勿論と議せしに、老臣曰、太祖高虎公、轅お用ひられしことなし、然れば子孫の今に到て創用すべきに非ずとて、駕籠にて登城ありしと、丹羽氏の祖小松宰相は、いかさま轅にも乗つらん、左なくとて子産放魚の類、欺くに道お以てせば、官家の咎も無き理なり、又藤堂の謙巽は論ずるまでもなし、弘前侯に於ては、祖先に由縁すべきなく、又巽順の義お知らず、招其猶悔者宜哉夫、