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太平記

主上御没落笠置事
山城国の住人深須入道、松井蔵人二人は、此辺の案内者なりければ、山々峯々無残所捜しける間、皇居〈○後醍醐〉隠なく被尋出させ給ふ、〈○中略〉此時此彼にて、被生捕給ける人々には、先一品中務卿親王、〈○尊良、中略、〉都合六十一人、其所従眷属共に至るまでは、計るに不徨、或は籠輿に被召、或伝馬に被乗て、白昼に京都へ入給ければ、其方様歟と覚たる、男女街に立並て、人目おも不憚泣悲む、浅増かりし分野也、〈○中略〉三日〈○元弘元年十月〉迄、平等院に御逗留有てぞ、六波羅へは入せ給ける、日来の行幸に事替て、鳳輦は数万の武士に被打囲、月卿雲客は怪げなる籠輿伝馬に被扶乗て、七条お東へ河原お上りに、六波羅へと急がせ給へば、見る人涙お流し、聞人心お傷しむ、