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輿車図考

籠輿
籠輿てふもの、伝馬とならべとなへたれば、旅人の病者などのために、駅場などにて、もとは設しものなるべし、それよりしては厳島詣にもめされけり、いまの世、こゝにてかごてふものは、堂上にては板ごしなどいひて、大臣等は白木もてつくり、有明網代、むしろつゝみなどあるなり、この地にては、それおかごといふ、こは轅切といふものよりはじまりしなり、荷輿てふことも、俊旧記などにおほく出したるが、これまた似たるものなるべし、肩にてになふゆへになづけけむ、猶轅切の源始はさだかならず、むかしまたのりものといふは、輿おも馬おもいひたるなり、二水記に、大永三年六月十三日、各直垂乗物也、〈広姉等輿、少納言馬、〉とみえたりとぞ、籠輿、俊旧記には、鹿籠輿とかけり、このふたつは、今いふかごのことにやはべらむ、