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輿車図考

鳳輦
くれ床(○○○)のことお按ずるに、世俗浅深秘抄雲、〈○中略〉くれどこお伏してとも、又は平敷ともあるは、いづれ御こし高ければ、雨皮のかけがたきおもてなめり、さるに橋本経亮は、伏といふも、たゞにくれ床設置くことにて、呉床平床もおなじことなりといへり、もと平床の名はなし、平敷のおもひあやまりなるべし、屋代弘賢は、伏とは側おく事なり、もとくれ床の名は、延喜内匠式に牙床、〈和名抄にくれどこと訓ず〉等料、檜榑一材と見えたり、これその徴なり、かたちは榻よりも長くせばぐ、足も直立せし床なるべきなり、さて伏てといへるは、横さまに側だてしなるべし、ひろさ八九寸あるべきものお側てゝ用ひんには、榻よりもひきゝ事、便なるべしといへり、伏するとも、平敷にすともいふお、たゞ設置く事ともいひがたく、側ておくお伏するといふことも、いかゞあらん、稲村行教は、例こしお置かたお地にし、是おうへのかたにしておくなるべしといふことは、平敷といふにも、伏してなどいふにもかなへりしやうなり、また弘賢説、くれもてつくるてふことは、いかゞあらん、すでに式〈○延喜内匠式〉にも、手輿の条に、檜榑とあれば、この床にのみ榑とあるにもあらず、されば猶この名とはいひがたかるべし、総て物の名なんどは、さして深きことわりある事にもあらず、たゞにいひ伝へ、となへ来りしことのみにて侍るお、数百年ののちに、なにくれとより所おかうがへ侍るにぞ、あたり侍らざること多かめる、呉床お、胡床などいへば、かの呉床呉竹などいふたぐひにて、もろこしよりわたりし床よりつくりなせしお、呉床といひ、えびすの地よりわたりしお、胡床といひしにもあらんかし、されどこは、何よりいづるとも、強て実用のせんある事には侍らず、此の平敷てふこと、いまだ説々定まらねば、その説おあげて、その図〈○図略〉おば、しばらくこゝにかくのみ、
搢紳家、古より伝へたる、鳳輦のくれどこてふものありとて、経亮のもとより模本おこしぬ、その床は、いとひろくつくりなせしものなり、鳳輦のしたに四足あれば、ひろき床にて、その四足おあんじ置くべきことわりなきにもあらざれば、先此の模本おも、こゝに収入し侍るなり、これらのことおも、みやこ人へ、たび〳〵たづねものしたるが、これぞ明証とすべき説もなければ、しばらく疑はしきおかきて、識者おまつのみ、