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梅園日記

ろくしやく(○○○○○)
ろくしやくは力者お訛れる也、力者の輿舁事は、長谷寺観音験記、杉原本保元物語、法然上人絵詞、類聚大補任等に出たり、吾妻鏡、嘉禎四年二月十七日、又仁治二年十一月四日、又建長四年四月一日等の記に、御輿御力者三手とあり、康正二年慈照院殿〈○足利義政〉八幡社参記お見れば、三手は十八人なり、乗輿の力者十八人の事、荒暦、至徳二年八月廿七日に出たり、さて六人お一手とすることは、六人にて輿かく事あればなり、〈○中略〉また騫驢嘶余雲、門跡御輿舁、八瀬童也、十二人お一結といふ也とあり、〈○中略〉天竜寺臨幸私記に、三百年来、仏法日衰、似沙門形、而非沙門者多矣、田楽法師、力者法師等是也とあり、按ずるに、此記は崇光院の観応元年庚寅に、夢窻国師の作也、三百年前は後冷泉院の永承七年壬辰なり、そのころより力者の名は有けるなるべし、さて上にいへる観音験記なるは、清和天皇の御代とあり、太平記なるは、村上天皇応和三年の事おいへるなり、これみな後世より記したる事なれば、はやく清和村上などの御時より、力者のとなへ有しとも定めがたくや、又今はれの時、乗物かく者、足ぶみして拍子とるわざあり、これもふるき事なり、わくらはの御法に、牛飼は新車に強牛おかけ、力者はいろ〳〵に足おふみて、こしおかくと見えたり、又輿のみにもあらず、外の事おもなす力者、山槐記等に出たり、