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太平記
二十四
依山門嗷訴公卿僉議事
我朝には村上天皇の御宇応和元年に、天台法相の碩徳お召て宗論有しに、山門よりは横川慈慧僧正、南都よりは松室貞松房仲算已講お被参ける、予参日に成しかば、仲算既南都お出て上洛し給けるに、時節木津河の水出て、舟も橋もなければ、如何せんと、河の辺に輿お舁居させて、案じ煩給たる処に、怪気なる老翁一人現じて、〈○中略〉水は深し、智は浅し、潜鱗水禽にだにも不及、以何可致宗論と恥しめける間、仲算誠と思て、十二人のか者に、隻水中お舁通せとぞ、下知し給ひける、輿舁さらばとて、水中お舁て通るに、さしも忯しき洪水、左右に颰と分れて、大河俄に陸地となる、