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慶長見聞集

江戸町衆乗物にのる事
見しは昔、十年已前の事かとよ、江戸町のうちに、ひとりふたりのり物に乗、異様お好み、よせいして往来するものあり、是おみて其町人は申に及ばず、よの町衆までも、他のひおやみ、腹おすへかねて雲ける様は、乗物にのる人は、智者、上人、高家の面々、其外の人達にも位なくては乗がたし、されば江戸町には、奈良屋、樽屋、北村とて、三人の年寄あり、町の者がのるならば、先此等の人こそのるべけれ、人もえしら淹町人の分として、上もおそれず、世のひけんおわきまへず、推参やつめが振舞かな、あはれ我人に路次にてさわれかし、こととがめして、よりあふて乗物おふみやぶり、自慢顔する男めお、海道にふみころばし、頭おもだげさせず、物はきながら、むず〳〵としやつらおふみたくり、土にまみれて、見たもなき姿お往来の人に、見せばやなんとてしかりつるが、今みれば、いがなる町人も乗と見へたりといへば、かたへなる人の曰、義は宜なり、時の宜にしたがふといへるなれば、当世流行物、たれとても乗りて見よきなり、さればせつなの栄花も、こゝろおのぶることわりおおもへば、無為のけらくにおなじ、〈○中略〉松樹千年、ついに朽ぬ、槿花一日、おのづから栄なりなど雲て、高きも賤しきも乗輿する所に、此由公方〈○徳川秀忠〉に聞召、慶長十九年、御法度被仰渡趣、
雑人ほしいまゝに乗輿すべからざる事
古来其人に依て、御免なく乗家有之、御免已後、乗家有之、然るお尼近家老諸卒に及ぶ迄、乗輿誠にらんすいの至りなり、向後に於ては、国大名以下一門の歷々、並医陰の両道、或は六十以上之人、或は病人等は御免におよばず乗べし、国々の諸大名の家中に至りては、其主人、仁体おえらみ、吟味おとげ、是おゆるすべし、みだりに乗らしめば、くせ事たるべき者也、但公家、門跡、出家の衆は、制のかぎりにあらずと雲、是に依て今は諸人子細なくして、乗輿することあたはず、