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落穂集追加

乗輿御制禁之事
一問曰、乗輿の儀は、以前も今時の如く、御吟味強く有之たる事に候や、答曰、隻今とてもと申内に、我等抔若き頃の儀は、乗輿の御制禁、別而稠敷有之たる様に覚へ申候、子細お申に、以前の儀は、御直参衆の義は格別、大名方の家来共、五十有余に罷成、乗輿の御願おいたし候節、大家小家に寄らず、其家に於て家老職お申付置候と有之儀お、主人方より御断被申上候得ば、乗物お御免被遊、其外には、たとへ高知行お取、重き役儀お勤候者たり共、竹輿ならでは御免無之に付、何れも竹輿お澀塗に仕りて乗り申也、町人職人等の儀も、五十以上に罷成、又は法体など仕る者、御願お申上候へば、右の竹輿お御免被遊るゝ也、今時の御免駕籠抔申物は無之也、其節も四坐の猿楽共は、御願申上、老若お不限、竹輿お御免被遊けれ共、一同に黒く塗りて乗申義は、外々の竹輿に紛れ不申様にとの儀に有之と也、右竹輿の義に付、御代々公儀の御用お相勤る者に、橋本甚三郎とやらん申たる町人、法体仕り、橋本深入と改名仕るころ、御礼日の事に候処に、澀張の竹輿に乗、下乗橋の辺迄乗来候に付、御徒目付、是お見咎、其方は何者なれば、竹輿にて是へは乗入たるぞと尋に付、私儀は御用お承りし橋本深入と申ものゝよし申候得ば、御徒目付被聞、たとへ御用達にもあれ、下乗迄竹輿に乗、御大法お背き候上は通申こと成らず、吟味お不遂しては不協との儀に付、深入大に迷惑いたし、御堀端につくばい罷在候所に、朽木民部少輔殿登城有、深入お御見かけ、御徒目付衆へ、あの者の儀は、何故援元に居候哉と尋られければ、総て町人抔の様なる者の儀は、いづれも御門外にて下乗筈の義也、此辺迄竹輿に乗罷越候に付、指扣へ罷在候様にと申付候由被申ければ、御聞ありて、あの者は、近き頃御願申上、法体の身と成、竹輿に乗候ては、何国迄も乗候事と心得、援元迄も乗付しと相見候、近比不調法なる事也、作去我等狂歌お一首よみ候間、此歌に免じ、今日の儀は宥免致され間敷やと御申に付、御徒目付衆も、民部殿御申の事故、何がさてと被申ければ、民部殿とりあへず、
橋本で下るべきものが乗物で深入おしてとがめられけう