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続視聴草
初集十
乗物目名
網代輿(○○○) 清華以下諸家中尋常に乗用あり、或は黄或は溜色にするなり、武家にては柳営の乗御そ外に、三家〈○尾張、紀伊、水戸、〉の如き公卿たりと雲へども乗用なし、但し法中にて堂上の猶子たる僧中は、乗用することお憚らざるなり、〈車に網代あり、依て其制に擬するなり、乗用のことは、網代の定には拘らず、其趣お以て新制なるべし、〉
打揚網代腰(○○○○○) 打揚と雲は、左右の引戸なく、簾お揚て上下せらるヽお雲、是即上の条に雲、古実西譚の塗輿は、四方輿の代りなりと、古雲る四方輿お移したるものなり、即轅の輿と同じく、上下し玉ふに、左右に引戸あり、前後より上り下り有なり、即轅の輿は車の代りなる故、其上り下り車のごとし、四方輿と雲は、御鳳輦のごとく四方に簾あり、轅の輿は人お移さるヽゆへ、前後に乗下すべき簾ありて、左右にも物見の簾あり、然るお乗物に移し造るに依て、乗物は轅の棟中に柄あるお以て、是お舁の夫前後にあり、仍て乗下し玉ふ時は、便宜に任せて左右より乗下あるゆへ、其制轅輿の前後と左右とにて入違へたるものなり、以上の子細お以て、打揚と雲は塗輿に准じ、且網代輿の制お摸して、腰お籧篨に組たるなり、故に白木輿網代輿に次て、貴重の物となると見えたり、以上愚案なり、〈嘉樹〉公家に乗用なし、当時武家にて、柳営の御家門国主方、並に由緒ある家々計、乗用お聴さる、〈御家門の中にも、聴さるとゆるさヾるとあり、国主といへども又同之、由緒あるとは津軽家のこ下なり、安永五年丙申の三月中、定の沙汰ある家々、凡そ二十一人也、父子一族にて定めらる名簿あれば、以来又其人々は増減あるべし、故に今其名簿お略して不注之、〉是武家乗用の至極なり、仮令四方輿塗輿に等きが故なり、
打揚簾(○○○)〈腰網代無之、腰黒塗なり、〉是上に雲四方輿の趣也、但腰に、網代お用ひざるものは、大樹の乗御と公家の乗用ある網代輿に准ずることお制止せしむる故、打揚網代の次なり、〈按るに、網代は打揚簾より其義重かるべし、如何となれば、網代は網代車の意あり、打揚は四方輿お移したるなれば、普通の塗輿といへども、轅輿の義なるおもつてのゆへに、車に准じたる網代より次たるべき也、然るお安永五申年の制等には、腰網代より重き家に乗用之定あるゆへ、其制に従て腰絹代より上みにこれお注ず、この甲乙のことは、定らる官吏に、子細もあるべきことなるべしと思ふなり、〉安永五年丙申二月中、定て沙汰ある家々凡九家なり、〈是又上の条、打上腰あじろの如く、御家門の中七家と、喜連川家、山名靭負ともに、当時九家なりと見へたり、〉
腰網代(○○○)〈打上簾、しな無之ものなり、〉 是は網代輿の略にて、腰の方計お網代に製したるなり、網代は柳営の乗御なるお以て、武家にては固く制止ある事ゆへ、腰計に綱代お用る也、去れども四方輿に准ずる、打揚簾お制止あるものは、此腰網代お乗用すべき由緒ありて、却而打揚げ也、塗輿に乗用するの家格なきものにや、上の条に註する如く、網代腰は打上より重かるべきものか、畢竟総網代は、柳営お憚るの義なれば、是お腰に計用るといへども、網代車の移れることお以て考れば、塗腰に摸したる打上簾よりは、猶重かるべき也、安永五年申二月、定め沙汰ある家は、伊達遠江守殿ばかりなり、
腰黒塗(○○○) 是お普通に用ることお制止あるは、腰網代に見紛ふの故なるべし、多年高家の人々乗物は、腰お黒く塗りたるお用ひられたるに、安永五年申より、其品お制止ある由なり、是如何なる故と雲ことお考へず、全く似て非なるものお惡むの謂なるべし、
呉筵包(○○○) 是おば隻乗物と言習せり(○○○○○○○○○○○)、大小名以下普通の家々、乗輿お聴る人は是お用ゆ、但し乗輿お聴さず、乗馬すべき人の老衰に及、又所労にて乗馬お厭ふ人は、月日お限りて願ひ請ひて乗輿するなり、去れども其物は、俗に駕籠と名付たるものにて、古に雲ふ箯輿(あおだ)なり、此物のことは猶下に弁ず、乗物とは混ずべからず、然して此乗物お呉筵包にするの義、且乗物とのみ称するのことは、考ることお得ず、〈○中略〉
並に按に、今の世、古の箯輿は駕籠と称して、乗物に等く用るゆへ、箯輿の名お用ずして、別に丸棒或は角棒お用て、其棒お透すに、乗物の如くに、かなものお打て透したるが、〈又丸竹おしき曲て、夫へ棒お透すもあり、〉其乗物又右の駕籠と少く異なるものお、阿牟太と雲ひ、或は御免駕籠(○○○○)、丸棒駕籠(○○○○)、宝泉寺かご(○○○○○)などとも雲へり、此頃諺には権門駕籠(○○○○)などとも雲へり、〈丸俸とは、見へたる形象にて雲匕、御免駕籠とは、賤者の乗ることお免さるヽものに用るゆへに名付たり、賓泉寺とは、雲伝近世宝泉寺と雲ふ寺の僧の吁みて造りし駕籠と雲へり、詳にしらず、今援に宝泉寺と書たるは、予(大塚嘉樹)が作り字なり、又檀門かごと雲ふは、謂家中の使者お勤るもの、槽門家へ立入候族、多くは馬に乗らず、此あんだにのるゆへ、俗に権門かごといえるなり、〉
此余辻駕籠(○○○)、〈戸なしかご(○○○○○)といへども、今はこれも又戸あり、〉網曾駕籠(○○○○)、宿かご(○○○)等の物あり、かぞへ註するに及ざる雑品ゆへ筆せず、