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守貞漫稿
後集三/駕車
乗物
将軍家は溜塗総網代、棒黒塗、家斉公薨御の後、其駕及び挟筥お芝増上寺大僧正に賜ふ、〈故に芝大僧正は、駕〉〈将軍と同じ、〉日光法親王も溜塗総網代、棒黒塗なども、前にふくらみあり、此形他に無之歟、未見之、
紳縉家は位階お択ばず、総網代に棒黒塗也、
官僧も総網代に棒黒塗なれども、溜塗は無之、朱漆お専とし、或は黄漆、江戸官僧の乗物は、聊か小形也、唯家斉公薨後、其駕お芝増上寺方丈に給ふ、故に今世芝方丈のみ、駕及び挟箱ともに将軍家と同じ、
大名も道中には総網代溜塗、棒黒漆おも用ふる者あれども、江戸にては是お許さず、凡て江戸用より、道中用は上製お用ふる也、譬ば江戸にて〓巻の人も、旅中腰黒お用、江戸こしぐろの人、道中こしあじろお用ふ、他准之、武家、江戸用は打上ぐお上とす、打上げ腰網代お最土とす、
加州前田家、或は納言に任ずることあり、城内下乗も陸薩に越たり、駕腰あじろ白塗網代也、次に常体の腰網代、あじろの上お黒塗にす、次に腰黒腰は、板の表お黒ぬりにす、蓋押ぶち下より一間も二間の物もあり、一重二重と雲、次に総〓巻お下とす、蓋其制に甚だ精粗あり、
武家在府用、打上以下並棒素なり、唯松平越中守のみ黒塗棒お用ふ、是先年日光御社参の時、故有て免許之す、又腰お胡粉塗にして腰白なる物あり、腰黒の次とする歟、或は制外歟、未考、乗物は素黒ともに檜棒也、