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皇都午睡
三編上
江戸市中、端々に迄駕籠屋多く、一町に五軒と七軒はなき所なし、〈○中略〉其余通り筋木戸々々見附々々に辻駕籠(○○○)とて、明駕籠に尻打かけ、往来お見かけ次第、駕籠え〳〵、旦那かごえと呼居る、道中の雲介には非ず、いはゞ裏店より出る駕籠舁なり、水辺へ用あらば船にて行ども、山の手在所道へ行には、駕籠の弁理よければ、老人病人など、駕籠借らんと思ふ時勝手よく、又直段は大体極りありて、格外にむさぼる事なし、町駕籠は、垂かご(○○○)のみにあらず、引戸(○○)、あんぼつ(○○○○)などゝて、大小望の如くあり、船、駕籠、是程自由な処、他国にはあるべからず、
辻駕籠の得意とする者は、遊所通ひなり、四里四方ある江戸の地に遊所なく、深川、本庄、根津、谷中、麻布、赤坂なんど、遊所諸所にありけれども、当時禁止となりて不自由なれば、南に品川宿、西に内藤新宿、板橋、北に吉原、千住と此五け所なり、何れも日本橋より二里半、三里に余る道なれば、行計りにも隙取れば、才の隙に駕籠にて欠行、帰りにも又其地より駕籠にて欠戻るゆえ、辻かご大に流行なるべし、駕籠賃の相圏も、京摂の如く、直切小切するにも及ばず、四文銭何本とか、南鐐とか、埒早く、乗と直に欠出す事、誠に宙お走るが如し、人立多き四つ辻にても、えいはあと懸声して腰おひねり、肩には茶呑茶碗に、水一抔入乗せ行とも、こぼるゝ事もあらじと思ふ計りに欠行なり、誠によく馴れたるもの也、此かご舁、寒中にも肌お脱ぎ、入ぼくろ見事にし、手お尽したる武者絵抔あり、辻々にて駕籠舁などに入ぼくろあるは、勇ましく見よき物なり、間にはかごの垂おろしあれ共、見附々々にては、手早く垂お上て、往来群集の中お、聊も滞る事なく走れり、吉原大門口、品用入口、新宿入口、夜明前より駕籠え〳〵と声おかけ、数十人扣へり、是は右にいふ、江戸へ帰るお乗せる為なり、