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落穂集追加

松平越中守乗物拝領の事
一問曰、何れの御代の義に候や、松平越中守殿に、公儀より御乗物(○○○)お拝領被仰付たる義有之、夫より彼の家の乗物の棒お黒くいたし乗り被申候との事也、右乗物お被下置候節、御懇意なる上意の趣お、世上に於て様々被申触候由、其元には如何聞及候や、答曰、此義お我等〈○大導寺友山〉承り候は、大猶院様〈○徳川家光〉御代、日光へ被為成、還御の刻、野州宇都宮に於ての義に有之由、然共其節の上意の趣と有之儀に於ては、誰も存たる者とては有間敷かにて候、子細は我等若年の節、浅野因幡守殿方へ振舞にて客来有之、其座中に於て、右越中守殿、御乗物拝領の由緒も有之、其上別て心安く候に付、或時御乗物の拝領の直物語お可承候と存、相尋所に、篤と咄不被聞候に付、重て松平安芸守殿方へ一家振舞の節、勝手座敷に越中守殿と我等両人罷在候に付、幸ひと存、御乗物拝領の時の首尾お尋候へば、越中守殿被聞、其元には、日外も此義お御申候、総て乗物の棒お黒塗に致候と有之義は、法中抔の義は格別、武家方にては決て不罷成義に候処に、我等乗物の棒お黒く申付て乗りあるき候には、定て不苦子細抔も〓之候やと、御推量にて事済可申との返答に付、其後は尋も不致、然らば今時世上に於て、とやかくと風説致候は、皆以て推量沙汰とより外には不被存候、因幡守殿、各へ御申候と也、右にも申阿部豊後守、未だ微官少禄の節、御一字拝領、越中守殿へ黒ぬりの棒の乗物御免抔と有之義は、外にたぐひも無之儀に候へば、其節御懇意の次第お外へ演説不被致とあるは、猶至極の義共可申也、