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歳は分ちて十二月と為し、月は分ちて三十日と為す、歳に閏年あり、月に大尽小尽あり、閏年は十二月の外に、更に一月の余あるお謂ふ、三年に一閏、五年に再閏お立て、十九年にして七閏に及べば復た余分なし、之お一章と雲へり、大尽は月の三十箇日にて尽くるお謂ひ、小尽は二十九箇日にて尽くるお謂ふ、而して其第一日お朔と為し、十五日お望と為し、月尽お晦と為す、朔と望とは夙に之お祝せしが、徳川氏の始め、二十八日お加へて三日と称し、汎く之お祝するに至れり、四時は又四季と雲ふ、一年十二箇月お四分し、各三箇月お以て一季と為し、温暑冷寒の序に循ひて、之お春夏秋冬に分つなり、又別に一歳三百六十五日有奇お分ちて二十四気とす、即ち立春より大寒に至るものにして、立春お以て正月の節と為し、雨水お以て正月の中と為し、冬至お以て十一月の中と為し、大寒お以て十二月の中とするが如し、而して冬至若し十一月朔日に当るときは、朔旦冬至と称して、朝廷に於て群臣之お賀す、又七十二候あり、五日に一候、十五日に三候あり、之お一気とす、即ち一月三十日六候二気にして、一歳十二月二十四気七十二候なり、又社日、八十八夜、梅雨等の雑節あり、亦二十四気より出づるものなり、二十四気に関せざるものに、別に節日あり、旧くは正月一日、七日、十六日、三月三日、五月五日、七月七日、十一月大嘗日お謂ひて、宴会あり、後に正月七日、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日お五節供と称して相祝す、又三元あり、正月十五日お上元と雲ひ、七月十五日お中元と雲ひ、十月十五日お下元と雲ふ、並に之お祝せり、