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真暦考
またかの空なる月による月と、年の来経とおしひてひとつに合すわざなどもなくて、ただ天地のあるがまヽにてなむ有ける、此二方お、暦に一つに合せたるは、いと宜しきに似たれども、まことは天地のありかたにはあらず、もししか一つなるべきことわりなりせば、もとよりおのづからひとつなるべきに、さはあらで、おくれさきだち行たがふは、必別事にて有ぬべきことわりあることなるべし、〈◯中略〉これぞこの天地のはじめの時に、皇祖神の造らして、万の国に授けおき給へる、天地のおのづからの暦にして、もろこしの国などのごと、人の巧みて作れるにあらざれば、八百万千万年お経ゆけども、いさヽかもたがふふしなく、あらたむるいたづきもなき、たふときめでたき真の暦には有ける、〈◯中略〉然有けるお、やヽくだりて、もろこしの国書わたりまうで来て後に、かの国のさだめにならひてぞ、一とせお十二月とはして、その月次お四時にくばりついでヽ、もろこしの十二月は、天の月による月おもて定めたるお、皇国にてそのかみさだまりしは、猶もとよりのまヽに、年のめぐりにしたがひて、暦の節気と同じかりき、むつき、きさらぎなどと、その月々の名おも定められたりける、すべてこれお月と名づけられたるも、ともにかの国のにならへるか、又こヽにも、本よりかの天の月による月といふ事の有つれば、その名おとれるにも有べし、万葉集にむ月たつとよめるなど、月に立といふも、こヽの詞なり、此時よりぞ、春某月、秋某月などと、月の名おあげ、又それお季へかけていふことなどもはじまりける、さて此月々の名ども、古事記、書紀などの歌には、一つも見えたるはなけれど、そはおのづからもれたるにこそあらめ、皆いとふるければ、月次の定まりし世よりのなるべし、万葉集にはおほく見えたり、此名どもヽ、もろこしのにならはヾ、やがて正月、二月、三月などとこそつけらるべきに、さはあらで、あらたにまうけて、むつき、きさらぎ、やよひ、などとしもつけられたるは、上にいへるごとく、物の次第お一二三などいふことは、古はなかりし故なり、さてかく月次のさだまりて、月々の名どもヽ出来つれども、かの天の月による月と、此月次とは、別事なりし、又いくかの日といふ日次、一月の日数の定まらざりしなど、これらはなほ本のまヽにてなむ有ける、