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東雅
一天文
月つき 正月むつき、二月きさらぎ、三月やよひ、四月うづき、五月さつき、六月みなづき、七月ふづき、八月はづき、九月ながづき、十月かみなづき、十一月しもつき、十二月しはす、義共に不詳、我国の月名、太古よりいひつぎしことばとも聞えず、旧事記に、邪神の音さばへなせしといふ事三たびみえたり、それが中二つは狭蝿の字お用ひ、読てさばへとし、一つは五月蠅の字お用ひ、読事狭蠅のごとし、さらば上宮太子の比ほひ、五月およびてさつきといひし事、既にありしにや、其余のごとき、いかにやありけむ、陰陽の二神、日神、月神お生給ひしに、其月神の御名、一つには月読とも申せしは、上古の語に読といひしは、後世にかぞふるといふことば也などもいひ伝へたり、月の数おかぞへいはむには、かぞへいふ所の名なき事おも得べからず、天地より始て、凡物の名に至るまで、後世にいふ所のごとき、上古にいひし所のまヽ也とも見えず、古おさる事の久しくて、世のうつりかはりぬるに随ひて、いふ所も又うつりかはりぬる故也、たとへば初空月、梅見月などいふがごとし、後代の歌詞に出たれど、遂に其月の名となりし事のごとく、古お去事久しき世の人のいひし所の、ついに其名となりて、古にいひし所のごときはしる人もなくなるにいたれり、五月おさつきといひ、又世の人今もなお、つヽしむべき月也などもいふ也、此月の事は、旧事記に見へし所なれば、古の時の名也けむともしらるヽ也、卯月、長月、陽月、歳終(しはす)などいふがごとき、漢にもふるくいひ伝へにし所なれば、此等のごときは、我国に漢字伝へ得し後の人のいひし所なるにや、またたま〳〵其名の相同じかりしにや、すべて其詳なる事おしらず、