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古今要覧稿
時令
ふづき〈七月〉 ふづきは七月の和名なり、ふみづきともいへり、さて此名目のはじめて書にみえしは、孝昭天皇元年七月(ふつき)、遷都於掖上と、〈日本書紀〉しるされしぞ始なる、されど此御時よりはるかに上つよに、ふづきの名ありし事明なり、神代に五月蠅(さばへ)〈同上〉といふ事みえたるも、いまいふ五月の事にて、神武天皇紀にむ月よりしはすまでの、和名みえたりしかど、ふづきのみしるされず、されど月々の名、此御時にみえたれば、孝昭天皇の御代より、はるかに上つ代の和名なる事著るし、万葉集には、秋雑歌に、七月七日之夕者(ふみづきなぬかのよひは)、吾毛悲烏(われもかなしお)などみえたり、既にこの集に、ふみ月とふづきお読りしより、古今集、後撰集の時代には、七月お文月などいふ文字に書しるしたれば、ふみづきとよめる事とはなれり、扠七月織女にかすとて、書どもおひらく故に、文月といふお誤れりと〈奥義抄〉いへるは、其時代よりふるくいひ伝たる所なるべし、されどこの説にては、文月はふみひらく月と雲義にとりしも、西土にて七月七日、曝書する事あるによりて、ふみひらく月といふ義に、とりなせしならんとおもはる、曝書の事は、早くは四民月令に、七月七日曝経書及衣裳不蠹とみえたり、崔国輔が詩、韓諤が歳華記麗等にもいでたり、さて八雲御抄には、ふづき、本はふむ月なりとしるさせ給ひ、蔵玉集などにも、ふみひろげ月としるせる曝書の意と、おなじくおもはるれど、下学集、壒囊抄などにしるせるは、七月七日二星に、文書お手向祭る義にいへり、藻塩草もこれにしたがひ、日本歳時記、歳時語苑、毫品通考等も、みな七月七日二星に、文書お備へてまつるよしみえて、此月お文月といふ、七日たなばたにかすとて、ふみどもおひらく故に、ふみづきといふお略せりと〈日本歳時記〉いへり、これらの説どもは、皆曝書よりこと起りて、後世終に二星に、文書、衣裳、其外種々の物共お備へて、二星お祭る事とはなれり、さてふみづきの名は、ふくみ月の義にとるかたしかるべし、此月稲穂お含めり、八月穂お張、九月かりとるなり、類聚名物考にも、此時に稲の穂の出んとして、妊む時なればいふか、加茂真淵もしかいへり、跡部光海翁は、穂見月なりといひ、谷川士清もしかいへり、此等の説えたりといふべし、扠また奥義抄の説は、文月といふかたにつきて用ゆべし、又此月の異名お、めであひ月と〈秘蔵抄〉いひ、七夜(なヽよ)月、秋初月と〈莫伝抄〉いひ、ふみひろげ月、女郎花月、七夕月と〈蔵玉集〉いへり、