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古今要覧稿
時令
かみなづき〈十月〉 かみなづきは十月の和名なり、皇国にてかみな月の名目の始てみえしは、甲寅年冬十月(かみなつき)丁巳朔辛酉と〈日本書紀神武天皇紀〉よまれたり、夫より以下は十月(かみなづき)、鐘礼爾相有(しぐれにあへる)、黄葉乃(もみぢばの)と〈万葉集〉いひ、十月(かみなづき)、鐘礼乃雨丹(しぐれのあめに)とも、十月(かみなづき)、雨之間毛不置(あめのまもおかず)とも〈同上〉みえたり、古今和歌集以下は、挙るにいとまあらず、扠十月お神無月といふは、雷のなき月ゆへ、かみな月と〈義公御随筆〉仰られし、又神無月といふによりて、無陽などいふもあまりに事むづかし、月令に雷声おおさむる時なれば、雷無月なるべしと〈類聚名物考〉いへり、又説に応鐘のしらべ、日本にては上無調といへり、応鐘は十月の律なれば、上無月といふ義也と〈両朝時令、速水見聞私記、芸苑日渉、〉いへり、十月の律、上無調といふ事は、はやく拾芥抄にみえたり、されば此月お上無月と書ても、しかるべしと思ひしに、かみな月と雲は、上無月なるべきか、元は上お書して、後に神の字にかへたるは、上無と書ては、名目あたる所ありてよろしからず、よりて神の字お書歟と〈速水見聞私記〉いへり、又十は数の極也と〈同上〉いひ、左伝に以十月入、曰良月也、就盈数焉といへるによれば、十は盈数にて上なきの称、故に上無月といひしにや、されば此三説のうちおとるべきなり、西土に陽月といふ、十月は坤の卦に当りて、純陰の月也、陽なきお嫌ふ故に、無陽の月なれども、却て陽月といへり、〈両朝時令、日本歳時記、〉天下の諸神出雲の国に行給ひて、こと国には神なきが故に、神無月といふ、〈奥義抄〉伊奘冊尊崩じ給ふ月なれば、神無月と申なり、〈世諺問答〉四方の木すえちりすさむ頃なりとて、葉みな月と申人ありと〈同上〉みえたり、陽月のごときは、漢にもふるくいひ伝へし所なり、其中陽月お読て、神無月かみなづきといひしは、かみのつきといひしことば也と〈東雅〉いひ、又神嘗月といふ説もあれど、いづれも信じがたし、西土にて国於是乎蒸嘗、家於是乎嘗祀と〈国語〉いへるなどにもとづきて、神嘗月といふ義にとりしとみえて、我邦の古へも、西土にも神嘗祭は十月なりし事、其証多しと〈和訓栞〉いひしなり、さて異名のごときは、かみなかり月と〈秘蔵抄〉いひ、神去月と〈莫伝抄〉いひ、鎮祭月と〈八雲御抄〉いひ、時雨月、拾月、初霜月と〈蔵玉集〉いへり、