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古今要覧稿
時令
しもつき〈十一月〉 しもつきは十一月の和名なり、皇国にて此月の名のふるくより見えしは、冬十有一月(しもつき)丙戌朔甲午と〈日本書紀神武天皇紀〉あるお始とす、夫より以下は、以天平五年冬十一月、供祭大伴氏神と〈万葉集〉みえたり、歌に旧く此月の名およめるは、見るまヽに雪げの空と成にけりさらぬにさゆるしもつきの空、と〈秘蔵抄〉みえたるお初とす、霜しきりにふるゆへ、霜降月といふお誤れりと〈奥義抄〉いひ、風寒み霜降月の空よりや雪げとみえてくもり初らん、と〈蔵玉集〉みえたり、又霜月といふ事、漢にもふるくいひし事なれど、それは九月おこそいひけれ、我国にては十一月おいひし也、その月は異なれど、其義おとる事は相同じと〈東雅〉いへり、又しもつき、この月には霜のいたくふればいふ、旧説さもあるべしと〈類聚名物考〉いひ、十一月の和名お霜月といふ、霜しきりにふる故、霜降月といふと〈日本歳時記〉いひ、霜盛降故曰霜降月と〈歳時語苑〉いひ、しもつき、十一月おいふ、霜月の義なりと〈和訓栞〉いへるがごとく、もはら此月霜降故月の名とせるは、四月お卯月といふも、卯の花盛にひらくる故、卯月といふがごとし、源君美がいへるごとく、西土にては霜初てふれる義おとりて、月の名となし、皇国にては霜盛にふれる月お名付て、霜月といへり、藤原宇万伎曰、志保美都伎也、保お母に通はせ、美お略ける也、此月にして、木草皆凋ば也と〈十二月名の解〉いへり、按に此月おしも月と雲ふは、下の義にもとれり、いかにとなれば、十よりして一にかへりて、十一十二と数おとれば、十一は下にかへる義にて、しも月といふなり、左伝に十は盈数也と、みえたるにても義明かなり、此月の異名のごときは、なかの冬と〈曾丹集〉いひ、つゆこもりのは月と〈秘蔵抄〉いひ、雪待月、神帰月と〈莫伝抄〉いひ、雪見月、神楽月と〈蔵玉集〉いひ、子月と〈壒囊抄〉いへり、