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古事記伝
十三
八日は〈◯中略〉耶加と訓べし、〈◯中略〉さて此〈二日三日八日十日(ふつかみかやかとおか)などの〉加(か)は、日数お雲言にて、彼〈◯倭建命〉御歌の迦賀那倍氐も、日々並而にて、日数お並べ計ふるお雲なり、〈屈並(かヽなべ)考へなど雲説は、みな非なり、〉加(か)とは、気(け)お通はし雲る言にて、気(け)は、経(ふる)日数の長きお、此記、又万葉の歌に、多く気長(けながき)と雲、又毎日お、朝爾食爾(あさにけに)と多くよめる〈食は借字なり〉気是なり、さてその朝爾食爾お、或は朝爾日爾(あさにひに)ともよめるお以て、気は日数なることお思ひ定めよ、かくて気は来経(きへ)の切まりたるなり、来経と雲ことは、倭建命段の歌に見えたり、なほ彼処〈伝廿七の九十丁〉に委く雲べし、されば二日三日など雲は、二来経三来経(ふたきへみきへ)と雲ことなり、〈師説に此加お、数の略にて、七日は七数、八日は八数と雲ことなり、故に七日の日八日の日とも雲りと雲れしはわろし、若数と雲言ならば、日にのみはかぎらで、何の数にも雲べきに、他には例なくて、隻日数にのみ雲るはいかに、且七数八数などヽ、数てふ言お添て計むも煩しく、さること有べくも所思ずなむ、又七日の日八日の日などヽ雲も、七来経の日八来経の日と雲むも、なでふことかあらむ、さて二日より以上はみな伊久加と雲お、一日のみは、比止加とは雲ぬは、いかなる故にか、未思得ず、凡てかヽる言は、神代のまヽの古言なれば、必所由ありなむ物ぞ、又二日七日は布多加那々加と雲べきお、多お都、那お奴と転し雲は、たヾ何となく通音にいひなれたるものなるべし、〉さて日数お計へて、幾日と雲には、夜も其中にこもれるお、此の如く八日八夜などヽ分て雲も、古語の文なり、〈此は八日の間、夜も昼もと雲意ならむと、思人も有ぬべけれど、左に引鎮火祭詞なるは、其意無き例お思ふべし、〉鎮火祭祝詞にも、夜七夜昼七日(よなヽよひなぬか)、〈下の夜字、今本には、日と作れども誤なり、元々集に引るに、夜とあるお用ふべし、〉山城風土記にも、神集々而、七日七夜(なぬかなヽよ)楽遊とあり、さて此の八も、例の弥の意にて、たヾ幾日もと雲意か、又正しく八日八夜にも有べし、