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真暦考
一月お三つにきざみて、ついたち、もち、つごもりといへり、そはまづ西の方の空に、日の入ぬるあとに、月のほのかに見えそむる比お始として、それより十日ばかりがほどかけて、月立(ついたち)といへり、月のやう〳〵に立ゆくほどなればなり、
月立はついたち 朔の始お定むること、日次にはかヽはらず、今の二日の日にまれ、三日の日にまれ、昏に月の見えそむる日お始とせり、暦に朔とする日は、いまだ月見えざれば、なほ晦の末なり、から国にては、合朔といひて、月と日とまさしく一方に会て、いさヽかも月の光の見えざる日お、朔とはすめれど、皇国の古は然らず、ついたちとは、月立の意にて、月のそらに立て見ゆるおいふなり、立とは空に見ゆるおいふ、霞霧などの立は、下より立のぼるおいふお、これは西の方へ下るころなれば、立といふ意たがへるに似たれども、昨日まで見えざりしが、初めてみゆるは、立のぼるに同じ、さてやう〳〵に昏に高く見えゆくころおかけて、ひろく月立とはいへり、倭健命の、美夜受比売のおすひのすそに、月水のつきたるお見そなはして、月立にけりとよませ給へるも、天の月の立によせて、月とはのたまへるなり、月立といふ事、これにて心得べし、さて春の立秋のたつなどいふは、から国にいはゆる立春立秋より出たる言か、又はこの月の立よりうつれるか、わきまへがたし、万葉集に、正月たつとよめるは、月のたつおいへるなり、又今の世の言に、月日のたつといふは、過行ことにて、こは今月の立お、先の月の過たる方へうつしていう言なり、
さて中ごろ十日ばかりがほどお、もちといへり、月の形の満たればなり、その中に、月立の初より十四五日にあたる日の夜の月は、望のきはみなり、
十四五日はとおかあまりよかいつか 望はもち もちとは満てふ意にて、月の満たるおいふ名なり、中旬のあひだみながら、空の月まさしく円にはあらざれども、欠たる所なく、やヽみちたれば然いふなり、さて今望の極みお十五六日といはずして、十四五日にあたる日といへるは、上つ代の朔は、暦の二日三日ごろなればなり、さて伊勢物語に、そのころみな月のもちばかりなりければとあるは、中旬おひろくいへり、六月へかけていへるは、後の詞なれど、中旬おもちばかりといへるは、古の言ののこれりしなり、又万葉集三の巻の歌に、富士の嶺の雪の事お、六月十五日に消ぬればとよめり、空の月の事ならで、十五日おもちといひしは、これも古言なり、
さて末十日ばかりがほどお、月隠といへり、月のやう〳〵に隠り行ほどなればなり、その中に三十日ごろにあたる夜は、月隠のきはみなり、
月隠はつごもり 此ほどは、月の出ることおそくなりて、やう〳〵に見ゆることすくなくなりゆく故に、月ごもりといふ、つごもりは月隠の意にて、月のかくれて見えぬおいふ名なり、さて暦法に依て見るに、天の月の一めぐりの来経は、廿九日六時あまりにて、廿九日にはあまり、卅日にはたらざる故に、卅日と定めて見れば、月の出入時の、先の月よりは遅くなりて、二月のほどには、おほかた一日たがふ故に、暦には大小の月お分て、二月に一月おば廿九日として、晦朔おとヽのふる事なれども、皇国の上代には、すべて日数にかヽはらざりし故に、たヾ空の月お見て、朔のはじめお、一人は今日ぞと思ひ、いまひとりは昨日ぞと思ひ、今一人は明日ぞとおもひて、心々に定めても、みな違ふことなかりしかば、大小お分ざれども、晦朔のみだれ行ことなかりき、