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古事記伝
三十
上旬は波士米能許呂(はじめのころ)とも訓べし、都紀多知能許呂(つきたちのころ)とも訓べし、〈かみのとおかと雲ことは、信明集の歌にもあれど、なほ上代の言には非めれば、然訓はわろけむ、〉都紀多知は月立なり、〈後に朔字お当て、ついたちと雲、つきおついと雲は音便なり、〇中略〉此に四月上旬とあるは、当時然言しには非ず、後の名お以て語伝へたるなり、