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冠辞考

いなのめの〈あけゆきにけり〉又しのヽめの〈ほから〳〵と明行ば〉
万葉巻十に、〈七夕の歌〉相見久(あひみまく)、厭雖不足(あきたらねども)、稲目(いなのめの)、明去来理(あけゆきにけり)、舟出為牟驪(ふなでせむいも)、こお暁のことヽは誰もいへど、そのよしおいはねば、おもふに、いなのめとはあしたの目てふ語也けり、何ぞなれば、古事記に、〈神武条〉降此刀状者、穿高倉下之倉頂、自其堕入、故阿佐米余玖女取持、献天神御子、故如夢教而、旦見己倉者、信有横刀といへり、この阿佐米余玖は旦目吉(あしためよく)也、〈後世の人も、あしたに吉もの見れば、朝目よしと悦ぶ是也、〉日本紀にも、高倉曰唯唯而寤之明旦雲々と同じ事あり、この寤之明旦と、右の阿佐米と同じことにて、かつ阿佐(あさ)と阿志多(あした)と又同じ語也、〈志多反は佐なれば也〉さて其阿志多の阿志お反せば伊となる、多と奈は韻通へり、然れば伊奈(いな)のめの明ゆくとは、あしたの目の明ゆくてふこと也、故に此語お夜の明ることに冠らせたり、〈◯中略〉古今和歌集に、しのヽめのほがら〳〵と明ゆけばてふも、朗らかに明行とつヾけて、右の伊奈の目の明ゆくと同じ語也、いかにぞなれば、しのヽめは、しなのめともいはる、〈奈と乃は常に通ふ〉そのしなお反せば佐(さ)となりて、しなのめは佐の目となる、さてその佐の目は、阿佐(朝)の目のあお略きたるなれば、右に伊奈のめは阿志多の目てふ事といへるに全く同じき也、〈上にいふ如く志多反も佐也、志奈反も佐也、多と奈とは同じ韻也、〉田舎人の、夜の目佐の目もあはせずといふは、夜の目朝の目おも合せぬてふなるお思へ、又おもふに、いなのめの明とは、寝目明(いねのめのあく)とも意得べし、宿(い)お寝たる目の覚るお、目の開といふは俗なるやうして古語也、