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東雅
一天文
春はる 夏なつ 秋あき 冬ふゆ 並に義不詳、四時の名は、古の時に見えし事は、旧事紀、古事記、日本紀等に、陰陽の二神大倭豊秋津洲お生給ふ、亦名は天御虚空豊秋津根別といふと見えし、これ秋といふ名の始て見えし所歟、されどこれは後世に名づけられし所也ともいへり、〈私記の説〉総て太古の事の徴とすべきにもあらず、又二神共に速秋津彦速秋津姫の神お生給ひ、陽神に速秋日子神お生給ひしともみえたれば、延喜式の祝詞には、速秋津姫の名お、速開都比咩ともしるされしかば、是も漢字お借用ひられし時、其語たま〳〵相同じければ、秋の字お用ひられしかど、其実は春秋といふ義にはあらざりしもしるべからず、正しく春秋の秋の事と見えしは、旧事紀等の記に、日神、天熊大人命葦原中国の稲種おとらしめ給ひ、天狭田長田は植給ひしに、其秋垂穂八握莫然(しなひ)しと旧事紀にしるされしぞ、まがふべくもあらぬ秋の事也ける、是後素盞烏神の御孫羽山戸神の子に、若年神、夏高津日神、〈また夏之女神と雲ふ〉秋比女神、冬年神等ありきと旧事紀にみえしぞ、夏冬の名の見えし始也、されど古事記には、冬年神お久々年神としるして、久々の二字お読に音おもてすべしと注したれば、旧事紀にみえし冬の字は誤写せし所也とみえたり、又旧事紀に、思兼神の児表春命下春命みえたり、これも春秋の義也しにや、たヾ其字借用ひられしにや、不詳、此等の名義既に闕ぬれば、今はたいかにとも弁ふべからず、もし古語の例によりて其義お推求なんには、古語にはらくといひしは開也、春お名づけてはるといひしは、年開ぬる義にて、たとへば漢に開歳などいふがごときか、夏とは熱(あつ)也、あつおなつといひしは転語にて、其炎熱の時おいふなるべし、古語にあきといひし事のごとき、速秋津姫また速開都咩としるされし例によらば、これも開の義にや取ぬらん、義不詳、又旧事紀に、飽咋之宇斯能神といふとみえたり、さらば百穀既に成て、飽満(あきみつ)るの義にもやあるらん、冥渤読ておううみといふお、おほきうみともいひ、滄海原読てあおうなばらといふお、おほうなばらともいふによらば、あきとはおきの転語にて、大の義にもやあるべき、さらば百穀既に成おもて、其時お大(おき)也とする也、日神、葦原中国お豊葦原之千秋長五百秋之瑞穂国とのたまひしも此義なるべし、冬とは冷(ひゆ)也、ひゆおいひてふゆといひしも、又語の転ぜしにて、其寒冷の時なるおいひし也、