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日本歳時記
四五月
此月淫雨ふる、これお梅雨(つゆ)と名づく、又黴雨(ばいう)ともかけり、梅雨の中肥土に芙蓉、石榴、桜、桃などの枝おえらびてさすべしと、月令広義に見えたり、此時黄土につヽじ、薔薇、水梔おさせば甚よく治、又貧家人功ともしき輩は、奴僕事お廃し、おこたりては、家事調がたし、梅雨久霖の中も、家僕おして薦おあみ、屣おつくらしむべし、薦は書籍器物食物等お晒し、新に栽たる草木菜蔬におほひ、墻屏お葺ゆへ、其功用広し、又梅雨水お大瓶に貯置、茶お煎すれば、はなはだ美なりと、茶譜に見えたり、但日おへては飲べからず、又梅雨水にて癬疥お洗へば、そのあとなし、醤お作るにこれお用れば熟しやすく、衣おあらふにこれお用れば灰汁のごとしと、東垣が食物本草に見えたり、梅雨出入の説、紛々として一決し難し、埤雅にいはく、閩人立夏の後、庚にあふ日お入梅とし、芒種の後、壬に当る日お出梅とす、神枢にいはく、芒種の後、丙にあたる日お入梅とし、小暑の後、未にあたる日お出梅とす、又砕金録にいはく、芒種の後、壬に当る日お入梅とし、夏至の後、庚にあたる日お出梅とす、又李時珍が説には、芒種の後、壬にあたる日お入梅とし、小暑の後、壬に当る日お出梅とす、三元帰正にいはく、芒種の後、丙の日に当るお入梅とすと雲説、是にちかし、其時雨湿衣お班するに験ありと見えたり、凡梅雨出入の期は、和漢ともにさま〴〵の説侍るなり、されどもその説合がたし、損軒嘗著黴雨説いはく、陰陽之往来、固有定期、然而天地之流行、変化無窮、故寒暑風雨之時候、必有遅速、不可拘以日数、然則梅雨出入之期、雖出乎華夏之書、恐不可拠信、孟子曰、尽信書不如無書、誠哉此言乎、隻以芒種之後淫雨初降之日為入梅、以淫雨収断之日為出梅、庶幾乎其不差矣、十月液雨亦恐然也、