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長等の山風附録

天平十九年に勘録せる法隆寺縁起に、小治田天皇大化三年歳次戊申九月廿一日己亥と記せるこれなり、うちまかせて小治田宮と申すは、推古天皇、皇極天皇の御世お申す称ながら、此に然申せるは、孝徳天皇受禅し給へる、大化元年六月より前の、皇極天皇の、小治田宮に坐まし、同年十二月難波長柄豊崎宮に遷都し給へるお、其御世の始の宮号おもて申せるなり、但し三年と在るは、四年の誤なり、其年と日の干支、また其記せる事実によりて考ふるに、悉四年の事に当れり、然れば三年は四年の写誤なる事決なし、古書に四お四と作る例あれば、其四お三と見て、写誤れるにか、いづれにも四年の誤なり、
◯按ずるに、逸号年表に、孝徳の大化二年丙午の年お以て大化元年とし、法隆寺縁起の文お引て、大化三年歳次戊申九月廿一日乙亥とあり、乙亥は己亥の誤ならむ、