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日本霊異記

忠臣少欲足諸天見感得現報示奇事縁第廿五
有記曰、朱鳥七年壬辰(○○○○○○)二月、詔諸司、当三月将幸行伊勢、宜知此状而設備焉、
◯按ずるに、続日本紀に、白鳳以来朱雀以前とあれば、朱雀は白鳳より後なること著し、蓋し諸書に朱雀の改元おば、或は天武天皇の壬申とし、或は癸酉とし、或は甲申として区々なれど、其天武天皇の朝の改元なること皆同じ、熱田縁起に、天渟中原瀛真人天皇朱雀元年丙戌とあるに拠れば、朱雀は朱鳥の一名にして、天武天皇の十五年丙戌の改元なるべし、そは改元の種子となりし朱鳥は、即ち赤雀なりしかば、当時朱鳥とも朱雀とも通はして雲ひしならん、然るに上に挙げたる書どもには、朱鳥の号お赤雉に由れりとし、朱雀お赤雀、又は三足の赤雀に由れりとして分ちたり、されど赤雉お祥瑞とせしこと、国史及び延喜治部式の祥瑞の下にも見えず、頗る疑ふべし、されば朱雀即ち朱鳥にて、再び改元ありしにはあらざるべし、又按ずるに、日本書紀に拠れば、朱鳥は一年にて終りたれど、万葉集には朱鳥四年庚寅、六年壬辰、七年癸巳、八年甲子あり、蓋し庚寅は己丑の誤、壬辰は辛卯の誤、癸巳は壬辰の誤、甲子は癸巳の誤にして、霊異記に朱鳥七年壬辰とあるお正しとすべし、