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年山紀聞

那須の碑
右のいしぶみ荒野の中にむなしく埋れあるよしお、西山公聞しめして、佐々介三郎宗淳に命じたまひ、石おたヽみ、碑亭お立て、再興せさせたまふ、その時宗淳が私考に、右那須国造碑、〈◯中略〉貞享四年之秋、〈予〉奉君命至那須、親写碑文、元年上二字不甚分明、乃摸印見之、永昌二字也、然本邦無永昌号焉、飛鳥浄見原天武朝也、天武有朱鳥号、永昌字形稍似朱鳥、想是歳月之久、字体訛欠也、因推為朱鳥、帰後考之、朱鳥元年歳在丙戌、而此曰己丑、則非朱鳥也明矣、今按、唐武后永昌元年、歳在己丑、而当持統三年、此時本邦年号闕、故仮用異域年号乎、〈◯下略〉