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逸号年表補考
東寺所蔵弘福寺撿収古文書に〓宝元年とあり、〓とある、氷篇は誤なるべけれど、古文書にかヽる例多し、此文書宝亀よりやヽ後のものと見ゆ、近江国蒲生郡繖山桑実寺、旧名号薬師寺所蔵古文書の末に、天平咸宝元年閏五月廿日、奉勅、正一位左大臣大宰帥橘宿禰諸兄、右大臣従二位藤原朝臣豊成、按、続紀天平勝宝元年とあげて、当年の下に、改天平廿一年〈四月甲午朔丁末なり〉為天平感宝元年とありて、亦その秋七月甲午の下に、是日改感宝〈天平お省きてかきたるなり〉元年為勝宝〈天平お省きたるなり〉元年とあり、紀お選ばるヽとき、この感宝お、編年の紀号お省れたるものなり、〈◯下略〉