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改元物語
寛永二十年の冬、後光明天皇即位あり、一年号三帝に渉る例なしとて、明年十二月改元ありて正保と号す、此時諸家の勘進する所数多ありといへども、大猶公御前にて御裁断あつて、仰に曰、年号は天下共に用ふることなれば(○○○○○○○○○○○○○○○)、武家より定むべきこと勿論也(○○○○○○○○○○○○○)、公家武家の政は正しきに若はなし、正しくして保たば大吉也と議定したまふ、其時酒井讃岐守忠勝、堀田加賀守正盛、松平伊豆守信綱、阿部対馬守重次、阿部豊後守忠秋伺候し、先考〈◯林信勝〉旧例お考へ調進し、公家の勘文お御前にて読進す、我〈◯信勝子恕〉も其事に与り侍りぬ、正保五年亦京童部の癖なれば、正保焼亡と声の響似たり、保の字お分れば人口木とよむべし、又正保改元と連書すれば、正に保元の年とよむ、大乱の兆也と放言す、又少し書籍おも見ける者は、正の字は一にして止むと読、久しかるまじき兆也といへり、