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改元物語
正保五年、亦京童部の癖なれば、正保焼亡と声の響似たり、保の字お分れば人口木とよむべし、又正保元年と連書すれば、正に保元の年とよむ、大乱の兆也と放言す、〈◯中略〉かやうの雑説まち〳〵なるにより、京兆尹板倉周防守重宗内々にて言上しけるにや、慶安(○○)と改めらる、是時も先考〈◯林信勝〉お御前へ召て御議定あり、