[p.0332][p.0333]
逸年号考
寛七年〈鍍金宝塔銘〉宝塔銘に、奉納三十幡神、武州国円蔵坊也、尾州住人吉左衛門作、寛七年六月吉日〈信濃国岩村田所堀出、塔銘中有銅像一、〉とみえたる、宝寿と寛との年号、他に考る所なし、穂積氏雲、此年号考ふる所なし、寛〓年と七の字双句に彫たり、銅に彫たるに脱字あるべくも思はれず、又寛の字の上に置たる年号にて、七年までつヾきたるは、寛平、寛弘、寛正、寛永、寛文なり、下に寛字お置たる年号にて、七年までつヾきたるはなし、此物、寛平、寛弘、寛治の古物にはあらず、近く寛永寛文の物にもあらず、若くは寛正七年丙戌の時の物にてもあらんか、考べき所なしと雲り、左もありなん、古へ年号の字お略書する例あり、