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梅園日記

至元一
塩尻に、下に元の字ある年号の歳おば、一年と書べきにや、元史二百八に、世祖の至元一年とあり、〈秋斎閑語にも亦此説あり〉按ずるに、元史是より前百三十一〈亦黒迷失伝〉にも、至元一年、入備宿衛、九年世祖命使海外入羅勃国と見えたり、されども巻五世祖至元元年紀には、八月丁巳、改中統五年為至元元年とあり、必一年と書べきならば、援にこそ記すべきお、さらぬにて塩尻の説はうけがたきお知るべし、〈世祖紀の外にも、至元元年の文、諸志諸表諸列伝中に多く出たり、〉又八十七〈百官志二〉に、至大一年始置諸物庫とあれば、一年と書も、至元に拘りたるにはあらざるおしるべし、
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