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逸年号考
藤原貞幹が逸号年表お得て之お見るに、二十四部の書お引きて、正史にもれたる紀号ある由お雲り、故かヽる異しき年号もありけるにやと、猶疑はしかりけるお、伴信友が同書の補考に、五十一部の書お引証してあなるに驚かされて、やヽさきの疑ひもはれたれど、猶あかずまに彼此と書見る因に、其異年号の見あたりたるどもお書集め置て、さて考ふるに、列滴以下の号ども、多くは中古以来僧徒の、人の国へゆきヽおほくありし頃より、皇国の古へに、紀号なきお厭ぬ事に思ひて、造出たるならん、其文字づかひもいと拙く、仏家の語お用ひたるにて知るべし、神社寺院の縁起仏像などに彫付たるも、大かた同じ心ばえなり、然るお韓人の海東諸国記にかけるは、もとより正しき紀号と心得て記せるにや、