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尚古年表
推古
忠友〈◯穂井田〉曰、法隆寺釈迦光後銘に法興元卅一年歳次辛巳とあるお、貞幹小録に元世一年と読しは誤也、世は卅にて、世には非ず、同背後銘の中に、世間又即世ともありて、世の字と別也、崇峻帝の辛亥お法興元年とし、此辛巳お卅一年とすること論なし、道後湯碑に推古帝の丙辰お、法興六年と記したるおも合考べし、蓋し元世一年の元字は、衍文とも雲べし、
◯按ずるに、法興元は、又は法興とも雲ひしなるべし、釈日本紀に引ける伊予の道後の碑に、法興六年十月歳在丙辰とあるが如し、法興元とは、法興寺の創立おもて元年としたるものならん、日本書紀に、崇峻天皇元年、壊飛鳥衣縫造祖樹葉家、始作法興寺とあるは、建て始めたるおいへるにて、建て訖りて後に寺の名お法興と名け、即ち其年お元年とせしものなるべし、法興寺は即ち元興寺なり、三字お年号とするは、王莽の始建国、梁武帝の中大通、中大同の例の如く、又元の字お年号に著くるは、漢の武帝の建元、後元、光武帝の中元などの例なり、