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藤原家伝
鎌足
白鳳五年秋八月、詔曰、尚道任賢、先王彝則、褒功報徳、聖人格言、其大錦冠内臣中臣連、功件建内宿禰、位未允民之望、超拝紫冠、増封八千戸、俄而天万豊日天皇〈◯孝徳〉已厭万機登遐白雲、
◯按ずるに、之に拠れば、白鳳は即ち白雉なり、そは孝徳天皇の崩御は、日本書紀に拠るに、白雉五年甲寅の十月にて、此書に鎌足公が紫冠に超拝せられしといふ八月に甚だ近ければなり、されば俄而とは雲ふなり、是にて白鳳は白雉の一名なりと定むべし、白雉お白鳳と雲へるは、雉の文采の鳳凰に似たるより雲ふなり、漢土にても鸞峙鳳翔なども雲ひ、雉お鳳凰なりと雲ひて欺きしと雲ふ話もあり、白雉お獲しによりて白鳳と改元せしよしは、諸書に多く見えて、白鳳の年号の白雉に由れりと雲ふは、古き伝なるべし、又按ずるに、白雉は日本書紀にては、五年にて終りたれど、藤原家伝にては、白鳳十二年、十三年、十四年などもあり、されどその事実どもお日本書紀に合はせ、白鳳お白雉として数ふる時は、十二年は十一年の誤、十三年は十二年の誤、十四年は十三年の誤なり、