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源平盛衰記
二十八
顕真一万部法華経事
同〈◯寿永元年五月〉廿七日に、改元の定あり、改養和二年為寿永元年、法皇の御気色に依て被行けり、是は或人夢想の告ありける故とぞ聞えける、延喜に公忠の夢想に依て忽に改元ありき、例なきに非、今上去々年即位、其年大嘗会有べき処に、福原に臨幸の間、新都其礼難被備ありければ、延引しけり、去年は又諒闇也ければ被行ず、今年被遂行べきに、大嘗会以前両度の改元其例審ならずと、沙汰有けるに、天智天皇十年に崩じ給しに、天武天皇固辞して即位し給はず、大伴皇子の乱ありて、次年の天武元年(○○○○)七月に、彼皇子お被誅き、同八月(○○)に、太宰府より三足の赤雀お献ず、仍て年号とす、朱雀(○○)是也と、左大臣経宗被申けり、大外記頼業は白雉お改て白鳳として(○○○○○○○○○○)、十一月に大嘗会お被行きと申ければ、忽に改元ありけるとかや、