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偽年号考
応永中上杉禅秀の乱ありてより、関東穏ならず、既にして京鎌倉の二将相合はざるに及で、幕府の令する所鎌倉これお奉ぜず、年号は天下の大義、然れども或はこれお拒て用る事無に至る、其甚しきに及で、俗間に偽年号と称する者出るに至る、所謂延徳中に福徳(○○)の号なり、凡て〈◯て下恐脱五字〉年お経たり、永正中に弥勒(○○)の号あり、凡て二年お経たり、享禄中に更に弥勒の号あり、天文中に命禄(○○)の号あり、凡て三年お経たり、蓋当時兵革相つぎ、蒼生安住する事能はず、援お以て歳運お変ぜんが為に、僧家漫に福徳、弥勒、命禄等の号お設けしお、頑民年号の重事なるおしらざる故に、猥に流伝せしもの也、武家の記録に是号お用ひし事なきは、士大夫以上に及ばざりし事亦以て見るべし、是号豆相等に限る、この故に今に至て、これお関東の偽年号と称すと雲、