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逸年号考
弥勒二年丁卯〈下総国野田里土中所堀出尼妙心墓碑銘、近江国石山寺順礼版、甲斐妙法寺記、〉
順礼版に、甲州巨摩郡布施庄小池図書助、西国卅三所順礼聖山旨、弥勒二年丁卯六月吉日〈此札は銅の板に彫付たるものにして、石山密蔵院僧正模拓して所賜なり、此外に明応天文年中の札若干枚ありとぞ、〉とあり、穂積保雲、前条に記せる弥勒元年辛卯と、此二年丁卯と支干相違したれば、同時にてはあるべからず、文安四年の丁卯か、永禄十年の丁卯なるべし、図書助と雲名民間にはあるべからず、もしくは吉野の朝廷に仕奉し人の流浪なしたるか、又は足利の季世は天下大に乱れて、官家の人々諸国に縁お求め流客となり玉ひし事多くありければ、若くは京家の人の甲斐国に住したるならんか、永禄十年の丁卯ならば、武田家の侍の中に小池主計助〈山県衆〉小池玄蕃など雲人あり、〈甲陽軍鑑にみえたり〉此氏族の中にて隠遁したる人にもあらんか、或人雲、関東辺の古刹過去帳に、弥勒の年号ありと雲ふ、寺号詳ならず、追て尋糺すべし、参河万歳の詞に、弥勒十年酉の年と雲事お歌ふと聞り、これらも何ぞ拠あるべし、後考お俟と雲り、