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紀伊国名所図会
三編二伊都郡
地蔵寺〈西福寺に隣る、寺内に古き石灯籠の柱基お納む、(中略)其銘真中に光明真言講中建立と書し、左右に大道(○○)元年七月吉日と書す、長は一尺八寸ばかり、廻は一尺七寸ばかりあり、〉
伝へいふ、大道は大同と同音の字お用ひたるにて、此石は弘法大師漢土より帰朝のとき建し所なり雲々、今按るに、隣寺の石灯籠の正平の銘と較ぶるに、字体石質稍新しければ、決して千有余年の物にあらず、此頃友人の筆記お閲するに、異年号お載たる中に、越後国蒲原郡佐所村の吏民某の先祖石井彦七に賜ひし文書に、大道二年八月二日源吉次〈草名〉とある由お載す、此碑即其前年なれば、大同にあらざる事益明なり、彼二年の文書は元弘建武の後の物といへり、是によりて按るに、両朝御和睦の後嘉吉年間、南朝の遺民義有王お擁して兵お本国に移し比、私に建る所にして、彼天靖などいふ年号の類ならんか、猶後なるか、明証なしといへども、南朝に奉仕せし人の子孫等、前朝の微運お憤りて、当時の年号お用ふる事お快とせずして、私に建たる号なるべし、今偶北越南紀に此年号お記せる物の存する事奇といふべし、