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友俊記
四方御はいの事 元朝子の刻にもよほされ、清凉殿の東庭いさごのうへ階前の中央に、臘晦の夕かたより、すりしきかりばし(仮 階)お階よりいさごのうへにかけおろし、すいぬい(出 納)さたし、御びやうぶ六つおり、松竹鶴のえかけるお二そう、さくよ(尺 余)の板お御びやうぶにうちつけてひきかこみ、その中に大宋の御びやうぶ二そう〈今にては撻の狩のえやうにみゆる也、近頃にては、唐人打毬のかたちおかけるやうに、ある記に見えたり、〉引廻らし、なふさは御かうしおあげ、かもりりやうむしろおしきまうけ、くらりやうの官人ふたんおしき、すりしきふたんの両わきお板もてうちおさへ、清凉殿よりかりばしの上におよぶ、もくりやうあんとうだい(案 灯 台)おもふけ、づしよりやうくわしや(火 舎)みつの案ごとにおく、御香炉ひとつ案におく、によじゆ御殿のせうとうさしあぶら、とのもりやうたてあかし、うちわらはそうかいおたてまつる、両武士〈関東よりつけらるヽ〉ていしやうのびんぎある所にかうずるなり、寅の一天にしゆつ御職事両人御さきにすヽみ、御びやうぶの両方お少しひらく、極臈しそくおとり、五位殿上人両人四位両人、ふたんの外御座右につき、頭の中将御剣、御前のかた西おかしらとしてもち、みななんぼくりやうれつ横行、〈前行脂燭はヾかるゆえなり〉主上出御、関白あるひは頭の弁御裾、公卿殿上人衣冠供奉なり、其うちに御外戚たる老体の公卿殿上人衣一しほに御そばにそひてまいらる、〈これは享保五年の頃見侍し事おこヽにしるす、時によるべし、〉天皇御びやうぶのうちに入らせ給ひて、職事御びやうぶの両はしお折ふさぐ、西の御脇供奉伺公の公卿殿上人皆々かりばしお下り、いさごのうへに平伏し、御剣もてる中将、御びやうぶの両脇の職事両人のみ、かりばしに残り平伏し、或は蹲居す、御剣此時は東頭にもつ、主上御拝のあひだ半時ばかりあり、〈◯中略〉御はいおはりて御びやうぶの両脇おひらき、脂燭の殿上人極臈はじめのごとく下臈おさきとし、御剣東頭にして布氈の外おゆく、天皇入御まし〳〵、庭上の諸司御かまへおてつす、蔵人御草鞋お階より内竪にさづく、内竪戸屋主にとりおさめしむ、かりばし、ふたん、えんどう、案とうだい、御びやうぶ等とりおさむ、立あかししめし、御にはのもろもろつかさたいさむ、〈武家これよりさきに退出す〉