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嘉永年中行事
正月朔日四方拝 寅の刻の定なれば、とくより御ひるなる、常の御座にて先御手水おめす、釜殿御湯お運ぶ、女官取伝へて御湯殿お構ふ、御陪膳の典侍事具するの由お申せば、御湯殿に渡らせおはします、同人御湯帷お奉る、御湯終りて当御殿上段中央の御座に渡らせおはします、典侍袴おきて御鬢おかき御冠お奉る、垂纓紙捻お御かけあり、又御襪お奉る、下の大口ばかりおめす、御束帯あるべき料なり、典侍御前にて御笏紙お押す、次に御装束お広蓋に載ながら、下段の中央の南の方にて御服の人に授く、清凉殿迄は常の御袴お大口の上にめす、次に清凉殿へ出御なる、内侍燭おとりて御さきに行く、次に勾当内侍昼御座の御剣お持て参る、内侍御笏と式とお箱の蓋に載せ持て御供す、朝餉の御座に著御なりぬ、次に〈◯中略〉御装束の後同所にて御清手水供ず、御陪膳御前に参り、御脇足お御前に置く、次御楾角だらいお供ず、ぬきすお角だらいに引広げ置く、是よりさき御手水の中に入楾の蓋お打返して、其中に深草土器ひとつお伏す、かはらけおとらせ給ひて、御口お三度すヽがせ給ひて後、土器おたらひの中へ抛させ給ふ、御陪膳楾お御手水の中より取出し、打返したる蓋おし、改めて御手水おかけ参らす、手拭には小鷹檀紙お用ふ、御手水女中障りあれば、内々の男方奉仕す、寅の刻許に額の間より御草鞋おめして出御なる、関白御裾に参る、〈不参なれば蔵人頭つとむるなり〉中少将の人昼御座の御剣お持て参る、職事御笏と式の箱お持て候ず、殿上人脂燭おもて前行す、東庭に下御なりて、兼て設けたる御屏風の内に入らしめ給ひ、御笏おめす、職事奉る、先属星、次に天地四方の神祇、次に山陵など、何れも其方に向ひて御拝あり、此三所御座ごとに机お立て、香お焼き、華お立て、灯お供ず、終りて入御なる前の如し、〈◯中略〉応仁大乱の後しばしは絶たりしが、文明七年再興せられたり、