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公事根源
正月
小朝拝 此事は、たヾ臣下として元日にてあれば、天子お拝し奉るべき由申請て、おこなへる公事にて侍れば、さして朝廷の為にも侍らず、神事仏事にも非ず、されば是は私の礼也、君子に私なしと雲文有、不宜事とて、延喜の御宇に勅有て、延喜五年より、左大臣時平公に仰て、留させ給ひし也、抑朝拝は、百官悉拝するといへども、小朝拝は、たヾ殿上ばかり也、百官とひとしからざる故に、私あるに似たりとて、留させ給しにや、然に臣下共、元正の日、君お拝し奉る事お、しきりに申請しかば、同十九年に又もとのごとく行はれ侍し也、其故は、延喜五年に、臣下の拝おばとヾめさせ給しかども、当代のみこ達は、猶拝礼の儀式あり、それ臣子の道はあひかはるべからず、いかでか臣下の拝のみおば、とヾめらるべきとて、かたく申請し由、貞信公の御記にのせられたり、関白大臣以下すべらぎお奉拝儀にて、清凉殿の東庭に、四位五位六位に至まで袖おつらねて舞踏する成べし、上よりして仰らるヽ事にてもなければ、下として人々祗候の由お、先づ無名門の前、弓場殿に立つらなりて、上首の人蔵人の頭おもつて奏聞す、其後は御門は出御なりて、小朝拝の儀式は侍也、朝拝お略するによりて小朝拝とはいふにや、されば拝賀有年は行はれざる事なんかし、