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後水尾院当時年中行事
上正月
小朝拝、〈◯中略〉事おはりて還御、しばらくありて節会事具するのよしお申せば、亦清凉殿にならしまして、御そく帯ありて出御、これよりさき、〈◯中略〉内侍二人髪上て後、剣璽お案しながら、清凉殿の北の上段にしばらく案ず、〈二階厨子なり、いつごろよりのことか、〉大宋の屏風お引めぐらして、内侍二人屏風の外に候ず、出御の時是おとりて、議定所の東より出て、母屋の南の第二の間おへて、ひさしの南第一の間お出て御さきにゆく、職事共扶持す、南殿に出御の時は、非色の者は御後にいらざるがゆえ也、命婦二人は、清凉殿の東のすのこの北の妻戸より出て、御後にゆく、節会の事、又次第にゆづりて筆おさしおく也、近年立がくの頃還御、其後坊家そうなど奏すれば、内侍ひとへぎぬにて大ばん所へ出て、妻戸の簾下より廻り入て奏す、