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嘉永年中行事
元日節会 今宵は群臣おめし、豊の明り聞しめす式なれば、秉燭の程、清凉殿の朝餉にて黄櫨の御袍おめされ、額の間より出御、兼て設けたる筵道の上お歩み給ひ、南殿の御後にて御靴に改められ、帳中に出御なる、内侍二人剣璽お持ち、御前御後に供奉す、関白又は蔵人頭御裾お取る、職事御笏式の箱お持ち供奉す、殿上人七人ばかり脂燭おさし、御さきに行く也、是よりさき左大臣内弁の事お勤むる例なり、若障りあり不参なれば、次の人に内弁の事お仰す、内弁外任奏おめし、職事お以て朝餉にて奏せしむ、夫より南殿に出御なる、定る例也、次に外弁の公卿おめさしむ、公卿昇殿し御前の床子に著く、内膳司御厨子所御膳お供ず、公卿にも給ふ、是は大膳職の設くる所也、次三節の御酒お供ず、三献終りて立楽あり、内弁宣命お奏して下殿す、宣命使みことのりお宣ぶ、群臣再拝の後禄お給ふ、事おはりて入御なりぬ、近代元日は多く出御なし、白馬踏歌などは、一献終り、或は三献の後入御なる、定れる様なし、桓武の朝は紫宸殿にて宴会お行はる、弘仁式に、節会は豊楽殿の定めなれども、多く紫宸殿にて行はれし、応仁乱後中絶し、二十年あまりおへて、延徳二年に元日節会ばかり再興ありしも、用途ともしくて年々行はれ難く、延徳より九十年許おへて、天正の末つ方より年々行はるヽ事になれり、